子供に心配させない母の努力

昨日ウォーキングに感じる人の視線について書いたからか、今日はいつもより意識して無に近いストレスが少ない時間でした

そんな時に限って足の痛み用に飲んでる薬を忘れて早めに帰宅することになったけど

明日は母と食事に行きます

先日のイベントの売り上げでご馳走しようと思ってます

そのお店は前から行きたかったカフェで完全オーガニックの予約制で時間で2組のみというなんとも贅沢な場所です

多分コロナ禍でそういうシステムにしたのかなぁと思うけど、なかなか予約が取れなくて、たまたまsnsをみたらキャンセルが出たので慌てて電話しました

ホントは友達と行くつもりで予約したこのお店。前日予約だったのでキャンセルは不可だったけど今度いつ取れるかわからなかったので予約をしたら友達の時間が合わないとのこと

どうしようかと考えたけど、明日友達と会うのをやめてそのお店に行くことにしました

別のお店なら明日会って行けたけど、どうしてもそこのお店に行きたかったからです

違う友達も誘ってみたけど前日だしみんな都合が悪くて、これは母を誘いなさいの意味かなと思って日頃の感謝も込めて一緒に行くことにしました

思えば母とご飯を食べに行くなんて何年振りか。母自身も人混みが苦手で外での食事を嫌がります

でも明日行くお店は2組だけなのでちょうどいいです

親子といえどもなんだかぎこちないような緊張する気もするけど身体にいい無添加の食事はsnsでみても彩りが良くて母も好きそう

そういえば昔家族で旅行に出かけても母だけは一緒にご飯を食べずに車で待ってたり、スキーをしに行った時も母だけホテルで待ってたりしたのを思い出しました

その当時は寂しいもなんとも思ってなかったけど今考えると凄い頑固?マイペースというか、普通子供と一緒に’楽しまなきゃ”せっかく来たんだし’とかありそうだけどいつも私たちは親子3人で楽しんでた気がします

本当に別に寂しさはなかったです

ただ楽しかった思い出です

最近、幼少期に悲しかった思い出はないか?と聞かれたことがあったけど正直なかったです

かと言って嬉しい思いでも特になく、普通に楽しいとかはあるけど、思い出せないだけか?

浄化するために今の自分を癒すために嫌な思い出やこうして欲しかったことを思い出すといいと言うけどホントにない。

これって空いことじゃなくて当たり前に普通に過ごしてたから。ごく普通に幸せなことも当たり前みたいな感じです

だからある意味幸せ。

どちらかといえば思春期になると不満はあるけど今日は思い出すのをやめて、幼少期は当たり前に普通に幸せでした。

母曰く常にお金がなかったと言うけど旅行にも連れてってもらってたし貧乏でもなかった。というかそれを感じさせないようにしてたらしいです。

だから私たちはそう感じてなかった。

だから悲しい思いでもないのかも。忘れてるだけかな^_^?

でもきっとそこには母の子供には心配させない努力があるのかなと思いました。

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