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テレビでも身近な人でも憧れる人はいて私の場合どんな人かというと。。

・笑顔が素敵な人

・裏表がない人

・仕事ができる人

・ハキハキしててさっぱりしてる人

・癒される人

・マイペースな人

・信頼感がある人

・堂々としていて自信がある人

・自分らしく、自分を生きてる人

などが浮かびました。憧れる人・好きな人ですね

自分にはないものを持ってたり、自分と同じ性質だったりどちらもある気がしましたが、

今回は割と自分にはないことが多かったです

そんな人を見て憧れて羨ましくて自分もそうなりたいと真似てみたりして。。。

でもたまに間違うと”憧れの人”を嫌いになる時があるのです

初めは好きで自分もそうなりたいと思って真似してたはずが、だんだんあの人のようになれなくて自己嫌悪に陥ることがありました

そしてそのうち憧れてた人を嫌いになる

正確には自分自身を嫌いになってるんですが

‘私にはない”頑張ってもそうなれない’

と【比較】をしてしまうんだと思います

そんな時は自分にも他の人にはない魅力がある!と思えるといいですね

そして嫌いにならず憧れることをやめるんじゃなくて上手く取り入れて自分にしかない魅力も再確認してあげたいと思います。私自身のために☺︎

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母はよくスーパーで横入りする人に遭遇するのですが

今日も手持ちの商品が少ない女性が非常識にも横に並んで来たそうです

そういう時はイライラしつつ「先どうぞ」と譲る時もあるみたいですが心の中では納得していません

でも今日はいつもと違ってそれをみた若い女性がはっきりと

「商品が少なくても後ろに並ぶのは常識ですよ‼︎」と言ってくれたらしいのです

その話を聞いてた私も’お〜〜〜’と拍手をしてしまいそうでしたが

横入りしてきた女性はさらに図太く後ろに並ぶどころか前に並んだのです

するとさっきの若い女性が立ち向かって

「前じゃなくて後ろに並びなさい‼︎」とまた言いにいってくれてその様子を母と他に並んでいた人たちが見ていて小さく拍手喝采していたらしいのですが、、、

ちょうど1番前のお客さんが見かねて譲ったことでそのままお会計を済ませていってしまったというなんともモヤモヤな結末でした

もしこれがテレビのス○ッとジャパンとかだったら最後にレジの定員さんが「順番なので並びなおしてください」とかでスカッとするんでしょうが

そのときのレジは新人さんだったのでそうはいかなかったというエピソードでした。

一通り話を聞いて今日はどこに着目しようかなと考えてみました

まずスーパーのレジに並んでる時に横入りするひとによく遭遇すること

私はあまりないので不思議におもって聞くと

母は昔からそういう経験があるらしく

もしかしたら常に横入りしてくるんじゃないかとかんがえているのでは?

だからそういう人に遭遇するし強いては母自身がその雰囲気を醸し出して引き寄せてるのではないか?

これに関しては横入りしてくる人がどうしても現れたら”絶対に入れない‼︎”と決めるか、

もしくはたまに入れてあげるのはいいけど相手がどんな対応してきても自分は’いい事した’とストレスに捉えないことが大切だと思いました

それからもう一つ違う質問をしたのですが

もし相手が申し訳なさそうに急いでるからとお願いされてお礼を言われたらどうか?

それには私も母も嫌な気はしないしむしろ良いことをしたと思うはずです。

これまで母と色んな話をしてきて

常識がない人が嫌い、

お礼を言わない人が嫌い、

それと同時にお礼を言われるのがうれしいということがわかったので

昔いい事をしたのに喜ばれなかったことがある?と聞くと

自分の母親にプレゼントをした時にすぐに喜んでもらえなかったことがあるといいます

本当は喜んでもらいたくてありがとうと言って欲しかったのにそうならなくて悲しかった記憶と、

普段は些細なことでも喜んでお礼を言われることが嬉しかったけどその時は違ったこと。

自分の親に喜んでもらいたいと思うのはどんな子供にもあると思います、私にだって。

きっとその想いが今も心の奥にあるのかもしれないです

母が普段から良いことをしてお礼を言われるのが嬉しのは、もしかしたら昔の自分も一緒に喜ばせてるのかもしれないですね⭐︎

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ある商品を販売するとこになりsnsで宣伝をした時の話です

その商品は賞味期限が元々短く既に1ヶ月しか持たないものでした

そこでまず半額にしたほうがいいかなと思い定価でも良心的な価格でしたが割引くことにしました

この時の私の心理は

賞味期限が近いから定価では申し訳ないということと、

安いほうが買ってもらえるかもということでした

初めて販売する商品だったのでお客様もどんなものかわからないし買ってもらえないかもという不安もありました

これが有名で人気な商品だったらそうは思わないはず

さらにいうと割引きにすることで仮に気に入って貰えなくても’安いから許してもらえる’という気持ちもあったかもしれないです

ペット食品で味見ができなかったことやまだまだ私もその商品に関して知識不足だったことも理由です

これが自分が好きな食べ物で味を知っていてみんなが喜んでくれそうなものなら割引はしなかったはず

今回は商品販売と試食後に感想とサイトアップ用の写真もお願いしたいと思っていたのですがここでも考えます、

・感想は手間ではないか?

・写真を知らないサイトに載せるのは嫌がらないか?

などと心配になったので任意でどちらかokの方におまけを付けることにしました

おまけは私が前から作っていたペットのアクセサリーだったので喜んでもらえるかなと純粋な気持ちでしたが

深いところでは拒否されたら嫌だからというのもあったと思います

ペット食品販売以前にこのアクセサリー販売をしてたときに割引きやおまけをすることがよくありました

その時はイベントとして割引きするのを楽しんでたのと、安くしたら買ってくれるかなとか、、初めの頃は特に高い値段をつけるのは申し訳ない気持ちになった経験をしました

アクセサリーは今もまだ安いほうが手に取りやすいかなと考えるときもありますが、

これまで購入してくれた方やファンの方もいるので自信を持ってちゃんと値段を付けようと思っています

自分だって欲しいものがあれば高くても買う時があるし、作品に対しても失礼だし、やっぱり値引きは自信のなさが大きいかもしれないです

ただ今回のことでもう一つ浮かんだのは

自信がないならやりやすい方法でやるのもあり!ということです

どうしても堂々とできない時は少しでも自信の持てる方法があるなら試してみるとやりやすくなるし、

次はその経験を元に自信もプラスされるので良い結果につながるとおもいます

だから割引きやおまけが必ずしも悪いのではない。

そんなことを考えつつ早速商品を購入してくれた人から感想が届いたとき、

“このお値段でも安いと思います”

と言われました

やはり価値観はそれぞれで安い高いかではなく商売をするにはそれなりの在り方が必要だと思います

喜ばれることに自信をもって相手を信じて自分の商品にも自信を持つことが大切ですね⭐︎

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今日の話は少し切なくて面白い母との会話です

うちの兄に子供が生まれたとき母は嬉しくてすぐにでも会いにいきたいと思いました

ただ遠い場所に住んでいたためすぐには会いに行けませんでした

それでも生まれたことがわかってすぐにお赤飯を炊いたりベビー服を買ったりして会えるのを楽しみにして「ありがとう」を直接伝えたかったと言います

実は母が60代のうちに孫の顔が見てみたいという望みがあったからでした。

しかし遠いとはいえ行けない距離でもない。

そこでネックになっていたのは時間とお金でした

会いに行く場合、両親は2人で車で行くのでまず父の休みがないこと

そして交通費や宿泊代もかかるのでそのことを考えるとすぐには会いに行けなかったのです

ここまで話して時間とお金もないことが虚しくて悲しいと暗い気持ちになってしまったんですが、

じゃぁ仮に”時間があるけどお金がない場合はどう感じるか?”と聞いてみると

それはやはり虚しいで終わってしまうのですが

逆に”お金があって時間がない場合は?”の答えは

父がいなくても1人でJRに乗っていく!でした

ここで母の気持ちがふわっと軽くなったのがわかります

母自身は変わらないけど状況が違うだけで感情も変化しています

今回はどちらもなくて悲しかったとだんだん笑いながら話していましたが

もう一つ母の中で引っかかってることがありそうだったので聞いてみることに、、

父との会話の中で

「交通費なんて1万円くらいだよ」

といわれたらしいのですが

母は家計をやりくりしてるからその1万円の重みが大きくて、

父が軽く言ったその一言にイライラしたそうです

それでも言い合いになるのは嫌だからグッと飲み込んだみたいですが

ここでもう1度質問してみたのが

“お金があっても同じ気持ちになるのか?”

すると意外にもYESでした

ここは逆の反応が返ってくると思ったけど

‘お金があっても父の言葉にイライラする’

もはや夫婦の問題では。。。

と若干心配しましたが

今度は母の立場になって考えて見ようとした時に別の話になって

言い方がムカついたと段々父のグチになってきたので

もしかしたら日頃の鬱憤が溜まってるだけかも。。。

私だったらイライラしないし、

でもそれは境遇が違うってのもあるか、、

と色々考えてまだ何か母の奥底に引っかかってるものがありそうでしたが愚痴になりそうだったので今度は父の気持ちになって考えてみることにしました

・父がもしお母さんのために頑張って時間を作ってくれたらどう思うか?

でもこれにも納得いかない様子で

「いや2人のためでしょ」と。

いよいよやっぱり夫婦の問題かなと思いつつ諦めずに質問を続けてみました

・お母さんに交通費の心配をさせないために父は軽い言い方をしたんだったら?

それには一瞬納得しそうでしたがやはりダメでした

でも最後に私が思ったのは

父は母に喜んでもらいたい人だということ

思い通りにならない時もあるかもしれないけど

常に心配性な母を安心させるために父なりに言葉を選んでるのではないかと

そう日頃父と話す時に感じてることを伝えました

ドラマならここで感動のエンディングでしょうが

母には通用せずやはり最後まで納得がいかずに終わりましたが両親のためにも不自由なく過ごせるように自分も頑張りたいと改めて想いました

あとは夫婦円満も密かに願います⭐︎

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10代の頃私はシノラーでした

カラフルな色の服や個性的なファッションをして人と違う格好をするのが好きでした

欲しい服がない時は自分で作ったりするほどです

他人と被らないファッションをしてる自分が好きだったんです

でもここは田舎。

そんな派手な格好をしてたら目立ちます

それでも高校に入学すると同じセンスの友達が出来たりして一緒に楽しんでいました

昔は今よりも古着屋さんやフリーマーケットなど手作りの服も売ってたり個性的なお店もあったので

それほど自分が浮いてるとは思ってなかったはずです

恥ずかしがり屋なくせに目立つことが好きだったのは10代という若さも大きかったですね

今同じ格好をしろと言われたら絶対イヤだし恥ずかしい

それは当時のファッションは今は好きじゃないし年齢的にも無理

でも昔も今も変わらずある気持ちは

‘自分らしい服装が好き’

‘個性的なデザインが好き’

‘人と被るのがイヤ’

ということ

それは幼少期まで遡り小学生くらいの頃から買う服にはこだわりがありました

今思うと私にとってオシャレは”自己表現の一つ”で言葉で伝えることが苦手だった私が唯一正直に自由になれるものだったと思います

それからこうして文章を書くことも昔から好きで得意でした

日記、手紙、文通など今も書くことが好きでそうやって昔も今も自分なりに自己表現してきたんだなぁとおもいます

頭で考えることが多い私ですが自分なりのやり方で生きてると思っています

実は今日のテーマは

“派手な格好をしても人目が気にならないのはなぜか”とかにでもしようと思ってたんですが

その理由は若さと本当に自分が好きなことをしてると他人は気にならないこと

それはなぜか’自信があるから’

あとは年を重ねると色んな思い込みや無意識にこれはダメと自分を抑えつけてるかもしれないです

このことに関してはまだまだ色んな理由がありそうなので今日はここまで⭐︎

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ここ最近、母とその日の出来事を話していますが、どうやら母は車の運転中に色々感じることがわかりました^_^

そして今日は”あおり運転”で母が恐怖を感じたはなしです

誰だってあおり運転をされたら怖い。それ以上のことはないと思ってしまったけどまずは色んな方向から見てみることにしました

ある日母があおり運転された時にバッグミラーでその相手の顔を恐る恐る確認しました

すると母の苦手なサングラスにマスクをした強面の人でした

そこでサングラスが怖いのか?と一瞬思ったけどそうではなくて、もしそのあおり運転してきた人が普通の顔をした女の人だったら怖いか?

その答えはYESでした

そりゃそうか、あおり運転自体が怖いですよね

もう一つ強面のひとが怖いことと、追いかけてくる気がして曲がりたかった角を曲がらず相手と違う道を走ってその場を回避したそうです

そこにも注目して、過去に追いかけられた経験があるのかも聞いてみると”昔犬に追いかけられて怖かった”と思い出して話し始めました

人ではなくて犬か、、関係あるのかなと思いつつ聞いてみることに

なんでも幼少期に嫌いな犬に追いかけられたりひどく吠えられて凄く怖い思いをしたとのことでした

それを聞いてもやっぱりその犬が関係してるかわからないけど、どうやら母は怖い人が苦手で

“【新章】母と娘が向き合う時”でも書いた昔父親が物凄く兄弟に怒っていて恐怖を抱いた。それが母の記憶の深いところに残っているのかもしれません

それだから未だに怖い人、大きい音、怒る人が人より異常に敏感。

だとすればもっといろんな解決方法を考えて安心させてあげたいです

ただ今回のことでもう一つ考えられたのは最近あおり運転のニュースをよく見ることでした

ニュースの中ではあおられて車から降りてきて暴行。。なんて事件もあることからその恐怖が焼き付いて「もしかしたらそうなるも」と無意識に思ってるのかもしれないです

その証拠に昔はそれほどニュースで取り上げられることがなかったから今ほど気にしていなかったし恐怖心を抱き始めたのはここ最近のこと

新聞やニュースをよく見てそれを信じてしまう母には強烈に残ってしまうのかもしれないです

父のようにあおり運転されてもさほど気にならないとか、恐怖ではなくてただイラついて終わる人もいるのでその人の心理も知りたい

もっといえばあおり運転してくる人の心理も知りたい「人生上手くいってないのかな」と少し笑って終わりましたが、

平気な人の考え方を聞いて今度それに遭遇した時に少しでも恐怖心が減ると良いなと思うのでまた違う形で話し合いをしていこうと思います⭐︎

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今日は普段からお店に入る時や人とすれ違う時に感じる視線の話です

例えばカフェに入る時ドアを開ける前に少し緊張することがあります

中に誰かいるかな?知ってる人がいるかな?混んでるのかな?

混んでるのかな?くらいは誰でも考えると思うけど私の場合お店のドアを開けた瞬間に一斉にひとの視線が集まるのが物凄く苦手です

よく行くお店だともし知ってる人がいたら挨拶しなくちゃいけないってことも考えたりします

その時の視線が集中する感じが物凄く嫌いでムカついたりします

「みるんじゃねー」って

同時に人に見られても良い表情を作ったりもしてますが。。。

それと同じ感情を抱く時が

道を歩いてる時に感じる人の視線です

スーパーでもコンビニでも普通に道を歩いてる時でも気になって

横断歩道を渡るときも1人で歩く時は見られてることがたまに怖くてぎこちない歩き方になったりします

普段バスに乗ることが多いんですが

そのときも緊張するし座れたらいいけど立つと後方の人が見てるようで落ちつきません

バスを待つときも行き交う車の中の人がこっちを見てるようで落ち着かなくて待てないバス停もあったりします

書いてて重症な気がしてきたけど

最近は当たり前になっていたのでひどく悩んでるわけじゃなかたけど外に出ると疲れるし結構頑張って生きてると今ふと思ったりしてます

ただ夏は日傘があるから視線から守れるしコンタクトを外してあえてぼやけさせると平気だったり帽子を被ったり自分なりに対策してます

昔はもっとひどくて人と会った次の日は疲れ果ててベッドから起き上がれない時もありました

さて今日のテーマは

“人の視線が気になるのはなぜか”

簡単に言うと人が怖いだけど何もしてない人が怖いのはなぜか?

見られるのが苦手?緊張する。知ってる人だともっとイヤ。

その根本にあるのは何か?

理由は色々あるけど思いついたのは、、、

昔10代後半から20代に引きこもりだった時がありました

その当時は高校を中退して初めは自由でよかったけどみんなが学校に行ってる時間に私は外にいて、その自分が周りから見たら’こんな時間に何してるの?’と蔑まれてるように感じるようになりました。

だから今も人の表情が気になる。

では道を歩いてる時の緊張とぎこちなさはどこから来るんだろう?

ひとの視線が集まるという自意識過剰なだけか

やっぱり引きこもり時代に学校に行かずに家にいた自分が恥ずかしくてその自分が知られるのが怖い

だから特に地元で歩くことに恐怖心があるのかも

それからもう一つ、今仕事をしていなくて独身でやりたいことも見つからない自分が恥ずかしい。

だから特に知り合いに会うと周りは結婚していたり仕事を頑張っていたりするのに自分は昔と変わらないと比較している部分が根っこにある気がしました

今の状況や考え方が変わらないとモヤモヤは晴れないけど少しずつ前進してるしきっと大丈夫とも思っています⭐︎

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今日の話は年齢を気にする母の話です

母は現在68歳で今年4月に長年勤めていた職場を定年退職しました

それからは家にいることが多く体もなまり、このままではボケてしまうと今仕事を探しています

そこでネックになっているのが68歳と言う年齢

仕事の面接のために電話をかけて内容を聞いて話が盛り上がっていい感じになっても最後に年齢を言うと断られる。

それが母にとって惨めで悲しくなるとなはしていました

私もそれには胸が痛みます

次第に年齢制限を聞く前に「私は結構年だから。。。」と実年齢を言う前に電話を切ったこともあるそうです

この話を聞いた時、年齢は仕方ないしこれ以上深くほりさげることはないのかも。。と一瞬思いました

でも少しでも年齢を気にしてる母の気持ちが楽になる方法はないのかなと考えました

まずひとつ、仕事の面接の時は初めに自ら年齢を言って先に確認すること。

これはただの先手必勝になるだけですが

そしてもうひとつは、確かに今の年で雇ってくれる職場は少ないかもしれないけど、それでもあること。

実際に60代から70代の人が働いでる職場を案内してくれるところがありました。

そこは場所が遠かったのでお断りしたけど

でもその可能性と、仮にそこの職場だったら年齢を気にしなくてもいいこと、むしろ働いてもらえることがありがたいと言うふうに立場を上にして考えるのがいいのかなとおもいました。

前提に、”今の年でも大丈夫‼︎”という気持ちが大切。

それはわかっていてもまだネガティブになってしまう気持ちもわかります。

そこでちょっと視点を変えてこんな質問をしてみることに、、、

例えば面接じゃなくて知り合いや街中で会った人に年齢を聞かれたら嫌な気分になるか?

そう聞くとそれは全然平気とのこと

それから身近な人とかテレビに出てる人で同じくらいの年代の人をみてどう感じるか?

自分に感じてるみたく惨めさや年齢が気になったりするか?

それも答えはNOでむしろ素敵な人もたくさんいるし羨ましく思うこともあるとのことでした

それが自分のことになると、特に仕事の面接ではもうあまり雇われにくいことがこびりついて蔑んだ気持ちになってる。かもしれないです

でもいくら前向きな言葉をかけても母の気持ちもわかるから今日は私も母もすっきりしないまま終わってしまいました

ただ母や母世代の人たちが無理なく楽しく会話をしながら働ける場所があればいいなとアイデアが浮かんだりもしました

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今日のエピソードは私(娘)の携帯ショップでの出来事の続きになるのですが、

人と話す時や説明を受ける時によくありがちな違和感があって、

それは

話終わった後の相手の表情が気になることです

今回のケースでは携帯ショップで店員さんに説明をしてもらった後に相手の表情をみて”私のこと馬鹿にしてる?見下してる?”

と感じることがあります

マスクで表情が見えなかったときも無表情だったり見下してる表情(ただの思い込みだけど)そんな相手の様子が怖かったりします

そんな時は一瞬イラっとしたり、もうこの人には聞くのをやめて後日違う人にしようとか、お店を変えたりすることもありました

相手が店員さんではなくて知り合いの場合はもうその人が嫌いになったり、話したくない・苦手となってしまうこともしばしば。。。

そう考えると思い込みが大半で反射的にこの顔=馬鹿にしてると決めつけてると気付きました

最近の私の思い直しの言葉は”思い込み”です

人の表情以外にも思い込みってよくあってそれに気が付かずに当たり前に過ごしてることが多いです

でもなぜ馬鹿にされてるのが嫌なのか、見下されるのが嫌なのか、にも着目してみると、、、

自分自身が人の話を聞くのが苦手と思ってるから理解できないことが恥ずかしいとか、

実際に見下してくる人もいるからそう言う人が嫌い。

そのもっと根本には自分に自身がないことが大元にある気がします

こう考えるとキリがないしまだまだ深掘りは出来そうですが、

今日の結論は相手の表情が気になるのは自身がないから。でも”馬鹿にしてる顔”は思い込み。ということでしょうか

理由に気づけたからこれからは自信を持てるようになっていきたいです⭐︎

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今日の母の出来事は昨日と同じ車の運転中にふと思ったことです

それは母が運転している時にたまに

「私車の運転してる!すごい」と思うらしくて

その理由は車の免許を取ったのは40歳手前だったところまで記憶がさかのぼります

40歳になる前に何かやりたくて思いついたのが車の免許を取ること

まさかこの歳で自分が免許を取るなんて、取れるなんて思ってもいなかったといいます

でもなぜそれができたかと言うと

私たち兄弟がいたから。

どこかに出かけるにも父を待って頼ったり、バスで出かけても時間に左右されること、

友達の車に乗せてもらうのも気を使うし。。。

そんなとき

“車の免許があれば視野が広がるよ”と父に言われたこともあり決断したわけです

それでも勉強は嫌いだし自分が免許なんて取れるわけがないという思いが心の中につきまとっていました

季節は冬で視界が悪く怖い思いをしながら4回の試験に落ちて母は父に「もう辞めるわ」と漏らしました

その時父は「子供たちの手前、途中で諦めてほしくない」という言葉にムカつきながら思い直して5回目の試験で合格したというエピソードです

ここで今日の本題は、

母はなぜたまに車の運転中に「私車の運転してる!すごい」と思うのかというところにフォーカスしてみました

これはあくまでも娘の考えになってしまうのですが、

母はよく’物覚えが悪い”この歳で恥ずかしい’など”ない”に目を向けることがあります

でも苦手だった免許を取った自分は凄い‼︎と母の心が母自身を褒めているのかなと私は思ったのです

“ない”をみるのではなくて”ある”に目を向ける

これは最近兄が教えてくれたことです

少しだけマイナス思考になりがちな母に、母自身が車を運転できることの凄さや、運転自体は今も嫌いだけど家族のために取ったこと、勉強だって子供が寝た後に頑張ってやったこと、もうダメだと思った4回目の試験もやっぱり意地で勝ち取ったことは素晴らしいこと‼︎

それらを母に思い出してほしい

だからたまに心がそう思い出させてくれてるのかなというところに落ちつきました

娘の私だってそう思います

運転以外でも母はよく家族のために頑張ってくれています

そのことに本人が気が付いてないことがあるけど周りは気づいてるし我慢強く諦めない母

そう思ってる人がいることと母自身が今のままでも素晴らしい人だってことを感じてくれたらいいなと思っています⭐︎

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