今日は普段からお店に入る時や人とすれ違う時に感じる視線の話です
例えばカフェに入る時ドアを開ける前に少し緊張することがあります
中に誰かいるかな?知ってる人がいるかな?混んでるのかな?
混んでるのかな?くらいは誰でも考えると思うけど私の場合お店のドアを開けた瞬間に一斉にひとの視線が集まるのが物凄く苦手です
よく行くお店だともし知ってる人がいたら挨拶しなくちゃいけないってことも考えたりします
その時の視線が集中する感じが物凄く嫌いでムカついたりします
「みるんじゃねー」って
同時に人に見られても良い表情を作ったりもしてますが。。。
それと同じ感情を抱く時が
道を歩いてる時に感じる人の視線です
スーパーでもコンビニでも普通に道を歩いてる時でも気になって
横断歩道を渡るときも1人で歩く時は見られてることがたまに怖くてぎこちない歩き方になったりします
普段バスに乗ることが多いんですが
そのときも緊張するし座れたらいいけど立つと後方の人が見てるようで落ちつきません
バスを待つときも行き交う車の中の人がこっちを見てるようで落ち着かなくて待てないバス停もあったりします
書いてて重症な気がしてきたけど
最近は当たり前になっていたのでひどく悩んでるわけじゃなかたけど外に出ると疲れるし結構頑張って生きてると今ふと思ったりしてます
ただ夏は日傘があるから視線から守れるしコンタクトを外してあえてぼやけさせると平気だったり帽子を被ったり自分なりに対策してます
昔はもっとひどくて人と会った次の日は疲れ果ててベッドから起き上がれない時もありました
さて今日のテーマは
“人の視線が気になるのはなぜか”
簡単に言うと人が怖いだけど何もしてない人が怖いのはなぜか?
見られるのが苦手?緊張する。知ってる人だともっとイヤ。
その根本にあるのは何か?
理由は色々あるけど思いついたのは、、、
昔10代後半から20代に引きこもりだった時がありました
その当時は高校を中退して初めは自由でよかったけどみんなが学校に行ってる時間に私は外にいて、その自分が周りから見たら’こんな時間に何してるの?’と蔑まれてるように感じるようになりました。
だから今も人の表情が気になる。
では道を歩いてる時の緊張とぎこちなさはどこから来るんだろう?
ひとの視線が集まるという自意識過剰なだけか
やっぱり引きこもり時代に学校に行かずに家にいた自分が恥ずかしくてその自分が知られるのが怖い
だから特に地元で歩くことに恐怖心があるのかも
それからもう一つ、今仕事をしていなくて独身でやりたいことも見つからない自分が恥ずかしい。
だから特に知り合いに会うと周りは結婚していたり仕事を頑張っていたりするのに自分は昔と変わらないと比較している部分が根っこにある気がしました
今の状況や考え方が変わらないとモヤモヤは晴れないけど少しずつ前進してるしきっと大丈夫とも思っています⭐︎